女子ゲス恋愛ライターは日々憂う。

アラサーフリーライター「ミクニシオリ」の寄稿記事まとめ。音楽や恋愛の話、原稿の裏話など。

松坂桃李主演「娼年」の感想と、女子ライター的セックス論(ネタバレアリ)

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松坂桃李が、脱ぐ。

これが娼年という映画が有名になったほぼ全ての要因であったろうと思う。

先に述べておくと私の中でこの映画は、いろいろ考えて☆2というところ。

まずはよかったところから考えていきたい。

 

 

欲望の秘密はその人の傷ついているところや、弱いところに息づいている

セックスにも、オンナにも、無気力な美しい少年。彼はモテるのだろう、困ることなく手に入ってしまうオンナの体におもしろさは感じない。

彼がどんなセックスを提供しようとも、オンナが喜ぶことには変わりないからだ。自身そのものに価値がある。だから、興味もなかったし、なんでもよかった。オナニーの延長のようなセックスを、日々相手に困ることもなく行っていた。

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「セックスなんて、手順の決まった面倒な運動です」

こう少年は言った。

これは一理あると言える。心を通わせないセックスはただのオナニーだ。ラブドールが相手でも、生身の人間でも、多少のリアリティの差以上に変わるものはない。

そんな少年が、自身と、自身のセックスに価値をつけられる娼年になった。

そこで初めて、「生身の人間とのセックス」を知ることになるのだ。

女性にとってバリューの高いセックスが、「一人ひとりを見定めて、求めることを見出し提供するセックス」であるということを理解するのだ。

相手それぞれに違う欲望がある。それぞれ違う身体を持ち、それぞれ気持ちいいところが違う。

自身の価値を高めようと思った時、セックスを通して初めて、「相手ひとりひとり」を見るようになったのだ。

娼年が相手をする女性は、中年以上のお金のある女性がほとんど。一人の女性としての存在意義や人生をある程度噛み締めて生きてきた、生きることができている女性たちだと思う。

「(魅力的な大人の)女性がなぜ歳を重ねることをまるで罪のように感じてしまうのか、僕にはわからない」

と、美しく若い娼年は言う。(娼年が相手をする女性たちが魅力的なのは、金銭的余裕があることも一つ大きな理由だと思うが)

しかし、これはどのくらいの、中年の女性たちを救っただろうか。

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原作の石田衣良はこういう表現が好きだ。女性は歳を重ねても、オンナでいていい。もっと欲深く生きてもいいし、カネで男を買ったっていい。性について消費物になりがちな女性に対して、手を差し伸べていると思う。

フェミ的思考ではあるが、これはこれでいいと思う。娼年の原作が発売されたのは2004年、このような考え方が今よりももっと大声で言えなかった時代であろうと思う。

娼年」の大きなテーマは娼年そのものではなく、娼年が出会っていく欲深い、しかしそれを誰にでも見せることのできない女性たちにあると思う。

娼年のこの主題に関しては、少なからず救われる女性がいるのであれば、これは意味のある映画なのだろうと思った。

 

4時間の60%が取り分、24000円

では次に私が映画でもやついたところを考えていきたい。

娼年が出会っていく女性たちの欲望については知るべきところではあると思うが、「セックス」というコンテンツに頼りすぎていて、ストーリー性や共感するに欠けるのがこの映画の難点だと思う。

少年は娼年になり、自分と自分の身体に値段がついた。その分、セックスについての考え方に成長が見えた。

しかし、娼夫は娼夫なのだ。人ひとりの「欲望」には向き合っているが、それは仕事だからであり、「人そのもの」を見ているわけではない。

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作中、娼年は仕事を紹介してくれた女性である御堂静香のことを好きになるが、「なぜこの女性を好きになったのか」に共感ができない。

娼年は「あなたが女性と、セックスのことを教えてくれたから」というが、それは違う。 御堂静香はきっかけを与えただけであり、女性とセックスのことは娼年が客から学んだことだ。

こういうところなのだ。結局は「御堂静香そのもの」を見ていないし、それに気づいていない。

「僕と付き合ってくれ」と御堂を押し倒す娼年を、御堂は拒否する。あとあとそれは、御堂がエイズに感染しているからだということが発覚する。

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御堂自身昔娼婦として働いており、客と作った子供(さくら)が一人いる。

クライマックスで、娼年は御堂に見せつけるように御堂の娘であるさくらとセックスをする。これは「さくらを通して行う、娼年と御堂の精神で行うセックス」という意味をなしているのだが…。

そもそも御堂と娼年のセックスに意味はないと思ってしまった。御堂が娼年を好きになる理由は作中に描かれていない。

これではエイズが理由で長いことセックスができなかった女性が、娼年のクオリティの高いセックスで、精神的エクスタシーを久しぶりに感じることができた」ということにしかならず、2人は精神的に繋がったとは言いづらい。欲望が合致しただけだ。

娘を通してセックスをする3人の描写、とてつもなく陳腐で気持ち悪かった。安っぽい演出に興ざめした。これは「御堂と娼年の精神的なつながりを感じない」からということもあると思う。

石田衣良や監督三浦大輔の考えるセックスは、これでいいのだろうか。私はそうは思わない。

世の中の女性の多くは、セックスや恋愛に「共感」や「包容」を求めている。それは表面的なものではなく、「心から分かってくれる人に、身体のことも分かってもらうセックス」でなくてはならないはずなのだ。

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娼年の友人めぐみが、綺麗事で言う。「好きな人以外とのセックスなんて汚い」と。

しかし、そんな薄い話ではなくて。若い女性(めぐみ)の言う、信憑性のない「大好きな人」とのセックスを重要とするわけではないが、女性はつまりセックスにもっと深い「精神的繋がり」を求めると言える。

娼年は欲望を理解してくれるが、女性を理解しているわけではない。だから、結局は「娼夫」でしかないのだろう。4時間の60%が取り分、24000円。仕事として見えたセックスと女性の限界だ。

(ちなみにこの数字、やけにリアルだった。身体を売って、デートもして、24000円か。女優ばりに美しい中年でなかったら嫌だろうな)

少なくとも私の考える女性に寄り添ったセックスは、「娼年」という映画の中には見当たらなかった。とても男性的な目線のセックス映画。そんな感想を持った。

 

女子トイレで盗み聞きした女性たちの感想

女子トイレで女性たちが話していた、娼年の感想を箇条書きにしておく。

 

松坂桃李の裸最高

・セックスが急ぎすぎていて、あんなのリアルではありえない

・難しくてよくわからなかった

・めぐみが報われなくて泣きそうだった

・AVをお金払って見た感じ

・あんな風に女の子って喘ぐんだなあ

 

こんな感じだった。まあ、ほぼほぼそんな感想を持つ人が多いだろう。

深く考えようとしなければ、「女性の欲望を描いた映画」というところで終わる。

松坂桃李というイケメンのおかげで、多分「娼年」を見た女性の欲望はちょっぴり満たされたはずだ。

それならそれでいいのだろう。女性がだんだん、性に対してオープンになれる時代が来ている。その背中を押す映画だったんだろうな、という感想で、今回は終わりにしておこうと思う。