浅はか書店

アラサーフリーライターが当たり前のことをわざわざ文章にしています。ボツ原稿の追悼など。

好きな人にキレるな、という話

どうもお久しぶりになってしまいました。

今回は少しヘビーな思想の話。

とあるメディアさんでボツったので、追悼もこめてこちらへ記載。

つまんねえ話ですが、ご容赦を。

 

、お付き合いしていた人と別れた。

その人は、すごく私のことを推してくれていた人で、とりあえずでもいいからどうしてもと言われ、

「うーん、じゃあ、とりあえず

と付き合った人だった。

 

初めの頃、彼はとてもやさしい人に見えたが、初対面で受けた印象よりも感情的なところがある人だった。

先日、ある事で私たちは喧嘩をした。

彼の言い分はこうだった。

「連絡を返す頻度が遅すぎる。心配になるから連絡をちゃんと返してほしい。」

私としてはできる範囲で返しているつもりではあり、仕事などに没頭しているときはプライベートの携帯は見ないようにするのが信条であった。

朝と夜、必ず2回は返すことを約束するといったが、

「僕が好きだから怒っているということをわかっているのか」

と感情的に”キレた”状態で言い返され、その後は話し合いにならず膠着状態になったのだった。

そこではて、疑問が沸き上がってきた。

 

好きだからこそ怒っているのだ、という考えは一理あるとは思う(厳密にいえば、理解はできる)が、その行動は果たして適切だろうか。

現にそれで私が彼の思惑である「連絡をしっかり返さねば」という気持ちになったか、否。

私は彼のことを「面倒なやつだ」と思った。

彼の純粋な私を想う「心配」という感情は、キレたこと、「怒り」によってねじ曲がって私に伝わっている。

これは彼にとって本意ではないことだと推測される。

今回はそのことについて考察する。

キレてしまう人、キレる人に困っている人にも、考えていただければ幸いである。

 

「好き」な人との関係性を見つめなおす

好きという思いは、基本的には一方的な感情である。

付き合いや夫婦という関係では、好意がある相手からの好意を得たい関係である。例えば、

・ありのままの自分を好きでいてくれる(才能)

・その人に好かれる自分をメークする(努力)

このようなファクターから成り立つ関係性である。

例えば上司と部下という関係の中では、そこに上下関係が発生するため、上司は部下を一方的に叱る状況が成り立ちやすい。

しかし、恋愛関係の2人は基本的には対等な関係であることが望ましい。

夫婦もカレカノも、特殊な状況を除いては上下関係は存在しないからである。(どちらかが明らかな不利益を被っていない場合。例外もあるかもしれない)

どちらかが先に相手を怒らせる原因を作ったとする。しかし、私たちは対等な立場の相手に対し「対等な」話し合いを求めるものである。

だから、私は彼に一方的に怒られ、自分の意見を聞き入れてもらう余地がなかったことに理不尽さを覚えた。

ここで言う対等な関係というのは、利害が発生しない関係、ということである。

損得の感情なく一緒にいる相手というのは、対等であるべきだと私は考える。

本能的な「好き」という感情は、そういうことだと思っている。

 

「キレる」という現象について考える

怒りの感情は基本的に嫌なことをされた、というようなことから起こるのだが、ここでは特に感情的にかっとなることを「キレる」と呼んでいる。

感情に理性が支配され、爆発させている状態。

伝わらないこと、思い通りにならないことに対するフラストレーションから沸き上がる感情。

 

メンヘラという言葉がファッショナブルに使用されるようになってもう何年か経つが、「好きだからこそ、感情的になってしまう」というのはまさにメンヘラ的であると言える。

 感情的になる行為は、上記した通り相手にとってはマイナスにしか映らない行為だが、

怒りの感情以上に、好意の感情がコントロールできないほど大きな熱量を持つ、ということで、

「好きだからこそ怒ってるんだ」と言うことが起こるのだと思う。

自分自身がそのような行動をとるかは置いておいて、本人の中での原動力は、怒りより先に好意が来ているであろうことは、理解する。

しかし、理解した上で、私なら「好きだからこそ、絶対に怒らない、怒れない」、このように思った。

 

「キレない」「キレられない」の真理

好きは、隙になる。

相手から嫌がられることは、私(自分)にとって損なことなのだ。

隙を作っている相手に対して、自分のデメリットを明示しないべき、と私は考える。

たとえ自分が先に損を被った側にせよ、キレることは相手に「話し合いの余地がない」と思わせてしまう。

キレないことで、相手の話を俯瞰して聞ける。自分の意見が曲がりづらい。冷静に話を聞くことで、相手にこれ以上の隙を作らない。

そう、恋は常に戦争なのである。初音ミクも言ってたヨ。

好きな相手に好きでいてもらうためには、寄り添う、合わせるといった行為も必要なのである。

私はすでに相手のことが好きである以上「才能」か「努力」かのどちらかを持ち合わせる必要があるのだ。

さらに言えば、怒りというのはすでに起こってしまったことから発している可能性の高いことであり、人はたいてい「終わった話」について深く言及 されることを嫌がる。

怒っている人と上手く話すのは難しい。

相手にとってそれはストレスであり、怒っている本人も、思いが上手く伝わらないから怒っている訳なので、それはストレス。

ストレス地獄だ。

冷静に考えて、感情の爆発は自分にとっても相手にとっても全く得がない。

だから、キレられない。キレるべきではないのだ。

 

あなたにとっての幸せは?

では、キレてしまう人はどうするべきなのか?

人間、やはり自分の事が一番大事なのだ、自分のこととして考えてみてほしい。

あなたには、好きな人がいる。例えば、浮気をされた。

それはあなたの相手への好意とは反するものであり、腹立たしいし悲しい。

腹立たしいのは好きだからで、あなたは相手に自分のことを好きでいてほしい。

そのためにどうするのが、自分にとって一番の得なのか?

冷静に諭すこと?受け入れること?

少なくともキレることではないはずだ。

もしあなたにとっての幸せが、「自分自身が自由でいること」でないならば、好意の相手に対してそれを実践するべきだ。

自由でいられることはストレスフリーだ。

ミニマリストという人たちがいるが、彼らは大切なものを少なくすることでストレスのない生活を送っている。

が、それは本来の人間的な選択肢ではないと思う。

あなたの幸せがもし人間的な愛を得ることなら、好きな人に寄り添い、寄り添われる必要がある。

もしどうしてもそれができないなら、あなたにとっての本能的な幸せは「感情に忠実でいること、自由でいること」だ。

感情的なあなたを受け入れてくれる人か、あなたを感情的にさせない人と一緒にいることが、あなたにとっての幸せだ。

幸せの理想と現実に差があると、あなたは悩むことになる。

自分にとっての本当の幸せを、見つめ直してほしい。

 

この話、皆さんに向けての記事のようで、私が彼氏だった人に対して死ぬほど言いたかった話である。

言わなかったが。話し合いの余地がなかったので。

つまり、そういうことなのだ。